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成長記録 7ヶ月
2011.05.24 Tuesday | bebeのこと
膨大な写真の整理がおいつきませーん
・・・というのは言い訳です。。なまけものな母ですみません
こんなに大きくなったよ
身長:約67.5cm (生まれたとき:47cm)
体重:8.5kg (生まれたとき:2.7kg)
下の歯の2本目が生えたよ
ようやく軌道にのってきた離乳食、量も順調に増え上手に飲み込めるように。
この時期おかゆ以外に食べたものは、人参、カボチャ、ジャガイモ、さつまいも、ほうれん草、豆腐、りんご、パパイヤ、ブロッコリー、キャベツ、しらす、ヨーグルト。
りんごのすりおろしはよくむせていたけど、りんごの味は大好きみたい。
ほうれん草以外はみんな好き
ほうれん草はというと・・・泣けちゃうくらい嫌みたいで
他の味の濃い目のお野菜に少しだけ混ぜたりミルクでのばしたりしてごまかして。
でも、泣きながらも口から出さなかった(爆)
こんなことができるようになったよ
- 高速ハイハイ
- つかまり立ち
- 喃語の数が圧倒的に増える
- 記憶力と理解力UP → 様子を見る。 例えばミルクを作っているのが見えるとじっと待つ。
- 棚の上の段のものがとれるようになった
- お手本を真似しようとする
- 物をわりと正確に指(親指、人差し指、中指)でつまむ
- 小さなものでも手を持ちかえる
- 自分でお座り体勢がとれる
いっこずつ真剣に取り出してます。
こんな遊びが好き
- 転がるおもちゃをおいかける
- 箱の中のもの、隠れているものを出す遊び
- ボール遊び(ころがしてキャッチ&リリース)
- 積み木崩し
- 狭いところに入っていないいないばぁ
- 手に持ったものをいろいろなものにカチカチ当てて音を出す
- ボールプールにダイビング
こんなことも
- 観察して真似をしようとし、できないと機嫌が悪くなる
- 歯磨き練習も始めたよ
- 嫌なとき首を横に振る
- 時々正しいタイミングでバイバイができる(よくすっかり通り過ぎてからしたりするけど)
- いらないものを手で払いのける
・・・というのは言い訳です。。なまけものな母ですみません
こんなに大きくなったよ
身長:約67.5cm (生まれたとき:47cm)
体重:8.5kg (生まれたとき:2.7kg)
下の歯の2本目が生えたよ
ようやく軌道にのってきた離乳食、量も順調に増え上手に飲み込めるように。
この時期おかゆ以外に食べたものは、人参、カボチャ、ジャガイモ、さつまいも、ほうれん草、豆腐、りんご、パパイヤ、ブロッコリー、キャベツ、しらす、ヨーグルト。
りんごのすりおろしはよくむせていたけど、りんごの味は大好きみたい。
ほうれん草以外はみんな好き
ほうれん草はというと・・・泣けちゃうくらい嫌みたいで
他の味の濃い目のお野菜に少しだけ混ぜたりミルクでのばしたりしてごまかして。
でも、泣きながらも口から出さなかった(爆)
こんなことができるようになったよ
- 高速ハイハイ
- つかまり立ち
- 喃語の数が圧倒的に増える
- 記憶力と理解力UP → 様子を見る。 例えばミルクを作っているのが見えるとじっと待つ。
- 棚の上の段のものがとれるようになった
- お手本を真似しようとする
- 物をわりと正確に指(親指、人差し指、中指)でつまむ
- 小さなものでも手を持ちかえる
- 自分でお座り体勢がとれる
いっこずつ真剣に取り出してます。
こんな遊びが好き
- 転がるおもちゃをおいかける
- 箱の中のもの、隠れているものを出す遊び
- ボール遊び(ころがしてキャッチ&リリース)
- 積み木崩し
- 狭いところに入っていないいないばぁ
- 手に持ったものをいろいろなものにカチカチ当てて音を出す
- ボールプールにダイビング
こんなことも
- 観察して真似をしようとし、できないと機嫌が悪くなる
- 歯磨き練習も始めたよ
- 嫌なとき首を横に振る
- 時々正しいタイミングでバイバイができる(よくすっかり通り過ぎてからしたりするけど)
- いらないものを手で払いのける
Surabaya Heritage巡り その2 文廟
2011.05.05 Thursday | スラバヤでjalan-jalan
続いて訪れたのは、Jl. Kapasanにあるこちら。
じつはこれも普通の中国寺院だと思って入ったら、あれ・・・なんか雰囲気ちがう。
あっ!!孔子像!!!
孔子の霊を祀った儒教の礼拝堂、孔子廟(文廟)でした。
中に入ると、人が集まってお茶したり琴を習っている人がいたり。
管理者らしき方が「何か御用ですか」と来てくださったので、ごあいさつをして見学したいというと快く通してくれました。
さらにそこにいたおじさんが、いろいろとここの歴史についても説明してくださいました。
文廟 Klenteng Boen Bio
Jalan Kapasan No. 131, Surabaya
1883年に開かれたのち、建物は1907年に現在の場所へ移され、一部改装・増築されたものの床のタイルや礼拝用の壇は当時のオリジナルを保っています。
正面には当時中国から贈られたという表札がかかり、壇のまわりを囲むチーク材のすばらしく美しい彫り物が目を引きます。
中はとても明るく、先ほどの鳳徳軒とはまるで雰囲気が違います。
外に掲げられている「文廟」の表札はスハルト時代は表に出せなかったそうです。
写真がボケボケですみません…
地元の架橋・華人が多く訪れ、人々の憩いの場にもなっているそうです。
琴やらギターやらを習ったり練習する人もいて、この日はご近所のおばあさんの誕生日でご家族がここを借りてお祝いしていました。
突然の訪問者である私たちまでケーキをいただいてしまいました
また、ここでは旧正月の催しのためのバロンサイ(獅子舞)の練習も日々行われているそう。
琴を習っている人。
壁にかかっているのは、建てられた当時の記録。年号や創設者、檀家?というのか?の名前など。
他にも増設当時の記録などもあり、誰がどれだけ寄付した、などが書かれていました。
その中に「賭博公司」の文字をみつけたので、質問してみると昔は賭博場があったんだって!
(いまやインドネシアでギャンブルはご法度、罪になります)
おじさんがこれは薬屋さん、これは雑貨屋さん、この人はまだ健在で最長老
・・・などなど説明してくれました。
最後に私がいくつか漢字を読めるので、おじさんがどこから来たの?と。
日本だというと、さっきの管理者の息子さんのお嫁さんは日本人だって
今は日本に住んでいるそうで。
おぉ、なんだかうれしいご縁だわ
じつはこれも普通の中国寺院だと思って入ったら、あれ・・・なんか雰囲気ちがう。
あっ!!孔子像!!!
孔子の霊を祀った儒教の礼拝堂、孔子廟(文廟)でした。
中に入ると、人が集まってお茶したり琴を習っている人がいたり。
管理者らしき方が「何か御用ですか」と来てくださったので、ごあいさつをして見学したいというと快く通してくれました。
さらにそこにいたおじさんが、いろいろとここの歴史についても説明してくださいました。
文廟 Klenteng Boen Bio
Jalan Kapasan No. 131, Surabaya
1883年に開かれたのち、建物は1907年に現在の場所へ移され、一部改装・増築されたものの床のタイルや礼拝用の壇は当時のオリジナルを保っています。
正面には当時中国から贈られたという表札がかかり、壇のまわりを囲むチーク材のすばらしく美しい彫り物が目を引きます。
中はとても明るく、先ほどの鳳徳軒とはまるで雰囲気が違います。
外に掲げられている「文廟」の表札はスハルト時代は表に出せなかったそうです。
写真がボケボケですみません…
地元の架橋・華人が多く訪れ、人々の憩いの場にもなっているそうです。
琴やらギターやらを習ったり練習する人もいて、この日はご近所のおばあさんの誕生日でご家族がここを借りてお祝いしていました。
突然の訪問者である私たちまでケーキをいただいてしまいました
また、ここでは旧正月の催しのためのバロンサイ(獅子舞)の練習も日々行われているそう。
琴を習っている人。
壁にかかっているのは、建てられた当時の記録。年号や創設者、檀家?というのか?の名前など。
他にも増設当時の記録などもあり、誰がどれだけ寄付した、などが書かれていました。
その中に「賭博公司」の文字をみつけたので、質問してみると昔は賭博場があったんだって!
(いまやインドネシアでギャンブルはご法度、罪になります)
おじさんがこれは薬屋さん、これは雑貨屋さん、この人はまだ健在で最長老
・・・などなど説明してくれました。
最後に私がいくつか漢字を読めるので、おじさんがどこから来たの?と。
日本だというと、さっきの管理者の息子さんのお嫁さんは日本人だって
今は日本に住んでいるそうで。
おぉ、なんだかうれしいご縁だわ
Surabaya Heritage巡り その1
2011.04.26 Tuesday | スラバヤでjalan-jalan
先週末はイースターがありインドネシアは3連休でした。
本当は日曜にタマンサファリ(サファリパーク)に行く予定だったんですが、連休中の避暑地・行楽地への道のりは大渋滞必至のため、予定変更。
でも連休中のスラバヤ内はいつもよりちょっと静かでちょうど良いかんじ。
せっかくなのでスラバヤ内でまだ行っていないところに行ってみよう
ということで、前々から行ってみたかった古いお寺や教会、モスクをまわってみました。
【第1弾】
中国寺院 鳳徳軒 (Kelenteng HONG TIEK HIAN) ※Kelentengは「寺院」の意味
Jl. Dukuh (North Surabaya)
スラバヤで最も古く、今から7~800年前のMajapahit帝国初期の時代に中国はフビライ・ハーン時代の元軍によってつくられた寺院。
このエリアは古いチャイナタウン「Kya-Kya」のすぐ傍で、今でも多くのチャイニーズがここを訪れます。
※Kya-Kyaは昔のような夜の賑わいはもうありませんし、日曜や平日も夕方にはみんなシャッターが下りてしまいます。ここに住んでいたチャイニーズもかなり新しい住宅街へ住居を移しています。
私たちが行った日はお釈迦さまの誕生日のお祝いの日でした。
朝からお供え物を持ってきたり、お参りをする人たちがひっきりなしに訪れていました。
このお寺ではPho Tee Hiと呼ばれる人形劇が毎日催されているそうですが、残念ながらちょうど終わったあとでした…時間は毎日決まってないそうで。
お寺の入口は建物むかって右にある門をくぐり、左手が本堂。
本堂に入るとまず両側にいかついのが8体…これは…??? なんの像なのか結局わからずじまい
私の背をゆうに超える巨大なろうそくが所狭しと並び、中はかなり暑い
暑さと煙さに旦那サマはアイルを連れて外で待機。
私はカメラ持って案内のおじさんについて奥に進むことに。
※案内のおじさんはお参りの仕方を説明してくれる係りの人です。お参り用の線香をくれようとしたので、見学だけしたい旨を伝え、写真撮影の許可ももらいました。
お参りしている人の邪魔にならないように気をつけて…
中央に祀られているのは廣澤尊王。
民間に宗教を広めた人…らしい ←私のインドネシア語の限界でよく理解できず…
若いチャイニーズの女性が長い線香の束を額の前に持ってお参りしています。
そして2つの木でできた手のひらくらいのものを上から落として…
これはいわゆる占い・おみくじで、表裏が1つずつ出たら幸運なんだそうな。
2階建ての建物は一度火事にあい立て直されたものだそうですが、1階の煤で黒くなった天井、薄暗い室内ともうもうとした空気、線香のにおいが充満する独特の雰囲気に、何百年も続いてきたその土地での信仰を肌で感じます。
2階にあがると、お釈迦さんや観音さま、協天上帝(関帝)も祀られていました。
…グレムリンのモグワイがいそうな気がするのは私だけですか?
同じ中国寺院でも、以前チレボンの旅で立ち寄った潮覚寺とは全然雰囲気が違いました。
こんなゆるキャラの石獅子もいました なごむわ~
←入り口(内側から通りをみたところ)
敷地内やまわりにミンタミンタ(物乞い)のおばさんたちがいるんですが。。。
車に乗っても車が出発するまでドアや窓をノックし続けます。
お寺には寄付をおいてきたので、このへんは心を強く持って…切り抜けてしまいしょう
実はスラバヤには100年にもなる建物がけっこうあちこちに残っています。
スラバヤ北部とホテルマジャパヒト周辺にたくさん見られます。
スラバヤ市が認定した古い建造物リストを入手したのでまた順番にまわってみたいと思います。
本当は日曜にタマンサファリ(サファリパーク)に行く予定だったんですが、連休中の避暑地・行楽地への道のりは大渋滞必至のため、予定変更。
でも連休中のスラバヤ内はいつもよりちょっと静かでちょうど良いかんじ。
せっかくなのでスラバヤ内でまだ行っていないところに行ってみよう
ということで、前々から行ってみたかった古いお寺や教会、モスクをまわってみました。
【第1弾】
中国寺院 鳳徳軒 (Kelenteng HONG TIEK HIAN) ※Kelentengは「寺院」の意味
Jl. Dukuh (North Surabaya)
スラバヤで最も古く、今から7~800年前のMajapahit帝国初期の時代に中国はフビライ・ハーン時代の元軍によってつくられた寺院。
このエリアは古いチャイナタウン「Kya-Kya」のすぐ傍で、今でも多くのチャイニーズがここを訪れます。
※Kya-Kyaは昔のような夜の賑わいはもうありませんし、日曜や平日も夕方にはみんなシャッターが下りてしまいます。ここに住んでいたチャイニーズもかなり新しい住宅街へ住居を移しています。
私たちが行った日はお釈迦さまの誕生日のお祝いの日でした。
朝からお供え物を持ってきたり、お参りをする人たちがひっきりなしに訪れていました。
このお寺ではPho Tee Hiと呼ばれる人形劇が毎日催されているそうですが、残念ながらちょうど終わったあとでした…時間は毎日決まってないそうで。
お寺の入口は建物むかって右にある門をくぐり、左手が本堂。
本堂に入るとまず両側にいかついのが8体…これは…??? なんの像なのか結局わからずじまい
私の背をゆうに超える巨大なろうそくが所狭しと並び、中はかなり暑い
暑さと煙さに旦那サマはアイルを連れて外で待機。
私はカメラ持って案内のおじさんについて奥に進むことに。
※案内のおじさんはお参りの仕方を説明してくれる係りの人です。お参り用の線香をくれようとしたので、見学だけしたい旨を伝え、写真撮影の許可ももらいました。
お参りしている人の邪魔にならないように気をつけて…
中央に祀られているのは廣澤尊王。
民間に宗教を広めた人…らしい ←私のインドネシア語の限界でよく理解できず…
若いチャイニーズの女性が長い線香の束を額の前に持ってお参りしています。
そして2つの木でできた手のひらくらいのものを上から落として…
これはいわゆる占い・おみくじで、表裏が1つずつ出たら幸運なんだそうな。
2階建ての建物は一度火事にあい立て直されたものだそうですが、1階の煤で黒くなった天井、薄暗い室内ともうもうとした空気、線香のにおいが充満する独特の雰囲気に、何百年も続いてきたその土地での信仰を肌で感じます。
2階にあがると、お釈迦さんや観音さま、協天上帝(関帝)も祀られていました。
…グレムリンのモグワイがいそうな気がするのは私だけですか?
同じ中国寺院でも、以前チレボンの旅で立ち寄った潮覚寺とは全然雰囲気が違いました。
こんなゆるキャラの石獅子もいました なごむわ~
←入り口(内側から通りをみたところ)
敷地内やまわりにミンタミンタ(物乞い)のおばさんたちがいるんですが。。。
車に乗っても車が出発するまでドアや窓をノックし続けます。
お寺には寄付をおいてきたので、このへんは心を強く持って…切り抜けてしまいしょう
実はスラバヤには100年にもなる建物がけっこうあちこちに残っています。
スラバヤ北部とホテルマジャパヒト周辺にたくさん見られます。
スラバヤ市が認定した古い建造物リストを入手したのでまた順番にまわってみたいと思います。